──そう、まさにそこが及川光博という表現者のすごい点だと感じます。デビューから25年というのもすごい話なんですが、ミッチーって、デビューした1996年を皮切りに、本当に毎年毎年、全国ツアーを欠かさずにやり続けてきたわけで──。これを25年近く継続するって、実は他の人たちを見ても、なかなかないことですよね?

ねぇ? と言うか、むしろですよ? 小さめの声で言いますけど…、しょっちゅう休む人たちの気がしれない(笑)。

──結構、大きな声で言ってますが(笑)。

笹川さんと話してると、もう本音がドンドン出てきちゃうんですけど(笑)。まあ、活動休止とかさ、バンドが解散するのは分かるけれども、僕はソロだし──何より、ツアーが活動の主軸なんですよ! 例えば“及川光博”という多角経営の会社があったとしたら、その本店はツアーであって。ブレずにやってきた自負はありますからね。

──振り返ると、ミッチーの俳優活動が本格的になったのは1998年のドラマ『WITH LOVE』からで、そこを起点に数えても、俳優業だって23年間ずっと第一線でやってきています。その俳優業もやりながら本店の事業である全国ツアーも毎年欠かさず行なってきたというのは、もっと多くの人に評価されていいし、認識されるべき事実だと感じますけども?

まあ、評価はともかくとして、「認識されるべき」というのは僕も感じるかな。…ただね、たまにネットの記事とかで、「及川光博、連ドラの出演が22年連続に」と出ていて──また今年も4月から『ドラゴン桜』に出るので23年連続になるわけですけど──これはもう、(ミュージシャンではなく)俳優の世界の話ですよ!? しかも「23年連続って…なかなかの俳優だな」って、自分でもたまに思うし(笑)。だけど、その辺の認識は、結局、世の中の皆様というのは見たいものだけ見るし、信じたいものだけを信じるので、もう、ことさらに声を荒げる必要もないですよね。むしろ僕は、へたにブームがやってくるのが怖いわけ。

CALENDAR 2019

──それ、ミッチーはずっと言ってきてますよね?

ふふ(笑)。臆病者なんですよ。何と言うか…イマジネーションが豊か過ぎて、悲しい未来を思い描くとそっちに引っ張られちゃうのよ。

──まあ、ここまでくれば、ちょっとくらいブームになっても大丈夫じゃないかって気もしますが(笑)…、いずれにせよ、20数年間もそのスタンスを続けてこれたのは強いと感じます。

そうですね。プライオリティとして僕が大事にしているのは、「大好きな仕事だからこそ、大きなストレスを感じたくない」ってことなんです。そのためには、心ない人たちの目になるべく留まりたくないっていう。

──大きくブレイクすると、どうしてもそういう人たちの目に留まっちゃうしね。

そう。…だし、心ない人たちっていうのは、文字通り、自覚なく残酷なことをするじゃないですか。そういう悪意やエゴをお手軽に発信できる世の中だしね。(そんな世の中の風潮は)苦手なんですよ……美しくなくて(苦笑)。

──はい。しかし、そういうライブツアー中心に動いてきた25年がゆえに、去年2020年はミッチーも気持ち的に辛かったでしょうねぇ。

やっぱり、すごくストレスが溜まりました。3月にアルバム『BE MY ONE』を出せたところまでは順調だったんですよ。問題は、それ以降ですよね。1回目の緊急事態宣言が出てからは、もう…表現の場を奪われた悔しさはありましたねぇ。まあ、そこで『半沢直樹』とか俳優業でのアウトプットがあったので、僕なりに一生懸命、“今できること”に向き合いましたけど…、やはり数か月間、(ライブで)週末に踊り狂っていないと、体もなまるし。だから、去年からはさ、本当に炭水化物と日本酒に気を付ける日々になってますよ(笑)。

──そういった「ライブができない」というフラストレーションはどう解消していったんですか? というか、「これはどうにも解消できない…」と腹をくくったまま1年を過ごした感じ?

うーん…まあ、そうですね。年末にライブを2本やったけれども、全体的には…潔くと言うか、くよくよしても始まらないので、「これは有事である。世界中がそうなんだ」と割り切って、ある種、開き直ってましたね、去年は。だって、4~5月の2か月間の緊急事態宣言のときは、僕、160時間ゲームをやってましたもん(苦笑)。あまりにもやることがなくて。そこで「ああ…だからゲームって、世の中にこんなに必要とされるんだな」と思ったな(笑)。

──ミッチーって、もともとゲームをやる人でしたっけ?

あのね、32~33歳のころにやめたんです。それまでは結構やってたんですよ、『ファイナルファンタジー』とか。で、さんざんレベルを上げて、ラスボスも倒し、感動の涙さえ流したんだけれども…、そこで僕自身は何もレベルアップしてないことに気づいてプレイステーションを封印したんですね。ところが去年の4~5月は、その封印したプレステを十数年ぶりに引っ張り出し──しかもプレステが“5”っていう時代なのに、僕が持ってたのはプレステ2だから、結局、『ファイナルファンタジー』の古いソフトをブックオフで買ってきて…で、160時間やりこんだという(笑)。…と、まあ、何が言いたいかって言うと、あの時期は現実逃避──まさに現実から逃げていたわけですよ。

日曜劇場「半沢直樹」TBS 2020

──人と会うのが日常みたいな人だっただけに、なおさら、フラストレーションが溜まる日々だったことは想像に難くないです。

もう、おのれの寂しがり屋さんっぷりに驚きましたよね(笑)。まあ、実家が東京で近いので、それは助かりましたが。タクシーでちょっと行けばさ、家庭料理が食卓に出てきて、会話もできるっていう。本当にあのときは、「家族が仲良くて、助かったな」と思った。で、6月からは『半沢直樹』をずっとやって、9月からは『#リモラブ』の収録も始まって──結局、2クール続けて出た形になったんだけど、もし俳優業がなかったら、どうなっていたことやら…。でもさ、そういうミュージシャンは多いんじゃない? 要は、表現の場を奪われた──それは、経済的な面でもピンチを迎えることになるし、精神的な意味でもピンチでさ。…ホント、世のミュージシャンは何をしていたんだろう?

──僕がインタビューしていた中では、「やることがないので、いつも以上に曲を作ってた」って人も結構いましたね。

エラい! でもそこなんだよなぁ、僕の異質なところは。そこで曲は作らず、ドラマにずっと出てたっていう(笑)。

──ただ、まじめな話、ミュージシャンと俳優の二刀流であることが、コロナ禍で動けなかった去年はミッチーにとっても大きかったようですね。

ありがとうございます。だから、これ(二刀流)は、続けていけるうちは続けていきたいなと。大事にすべきは、健康管理と、あとは余計なスキャンダルを出さない(笑)──要は、真面目に生きる! 結局ね、“仕事人間”なんですよ。ただ僕が幸せなのは、その仕事が好きだってところだよね。だって、51歳になりますけど、いわば人生の半分をプロとして、好きなことを──それも、音楽と芝居と両方をやらせてもらってきているわけで。

──で、さっきも言いましたが、その二刀流をずっと継続してきた素晴らしさは多くの方に知っていただきたいっていう。

ええ。知っていただきたいんですけれども、「…土足で汚さないでね」ってところもあるっていう(笑)。

BEST ALBUM 「XXV」2021

──はい、そこは僕の方が力説しておきます(笑)。さて、今日の話のメインテーマであるデビュー25周年記念のベストアルバム『XXV(ヴァンサンカン)』の話に移りたいんですが──まず、そもそも「25周年」というのはミッチーの中でメモリアル感のあるものなんですか?

ありますね。やっぱり、周年って節目ですし。20周年のタイミングでデビューからずっとお世話になっていた事務所から独立し、そこから今のところ、安定した環境をキープできているっていう、それも単純に、プロデューサーとしては「よく頑張ったな」と思えるし…、そういう意味でも今回の25周年という節目は大事なポイントになっているかなと。また、ビクターというレコードメーカーとかかわって、ひと区切りでもありますしね。